日本に届いた世界の思い

山口県湯田小学校_粉ミルクの缶と️

“世界の飢えた子どもたちに「1日1杯のミルク」を”

これは、1946年12月にユニセフが創設されたときにかかげられたスローガンです。世界中の人々が抱いたこの思いは、主要な都市がほとんど焦土と化し、深刻な食料不足に陥っていた日本の子どもたちにも届けられました。

1949年10月、「ユニセフミルク」と呼ばれた脱脂粉乳の第一便600トンが横浜に到着し、12県、2万8000人に。続く12月には、33県、3万8000人に配られました。物の値段が戦後70倍にもはね上がり、あらゆる物が不足していた時代。家庭に配られた支援物資が闇市などで売られてしまうこともあったため、「学校給食」という形で配給されることになったのです。

小学校への配給は文部省が、保育所・園への配給は厚生省が担当しましたが、ユニセフは、ユニセフミルクの配給にあたり、子どもたちの身長と体重と座高を測り、定期的に成長の記録を取ることを求めました。教育や保育、そして給食に関わる人々に、栄養と成長の相関関係を目に見える形で示そうとしたのです。

実際、ユニセフミルクの配給を受けた学校の子どもたちと受けなかった子どもたちの成長の傾向には、明らかな差が認められ、ユニセフミルクは、日本の学校給食の発展の大きなきっかけにもなりました。
また、支援を受けた子どもたちがユニセフミルクへのお礼として集め、当時創設されたばかりの日本ユニセフ協会に届けてくれた10円募金が、今のユニセフ募金につながっています。